ちょんの間がなくなった街

風俗が去って、ちょんの間がなくなった街

そして横浜・黄金町は芸術の街になった

20年前の話です。ある風俗で仕事している友人に声かけられました。

ねえねえ○○くんと言い、仕事しない?といいました。伏せた字にはあたしの名前が入るのですが、そのときのあたしは名前が売れておらず、時代はバブルでしたが毎月の生活費を捻出するのにやっとだった記者でした。

そうなので、友人はあたしに同情し、彼が仕事しているソープの仕事を紹介しようとしていると思いました。

と思いましたが、違いました。今度、新しく吉原の店で仕事する女性がいます。年はあたしと同じで、結構可愛いそうです。芸能人で例えると○○かな、と友人は言います。顔尾を見ると本当に似てました。

なので、その人の体を調べてほしい、という中身というバイトでした。

「それは何ですか?体のサイズでも調べるんですか?」

「身体を調べるのはそのままでしょ。簡単に言うとしてほしいの。お金は弾むよ。一回で○万円だけどどう?」

分かると思いますが、このような仕事があるのです。

分からない人のためにさらに詳しく説明すると、ソープで仕事するのにある程度の技術指導がありますが、研修が終わっても、客を相手にするのはちょっと不安。むしろ、新人なのでものすごい緊張しています。

「ソープで仕事する人は、最初の客を覚えているんだよ。やりなよ、あとでサービスしてくれるよ」

「いや、無理だよ。自分風俗なんて行ったことないから」

「風俗を知らないんだ。ならさらにいい。変に色々知っているよりもいいからね。お願いだ、やってくれ。まだ客取ってないんだよ。初々しいし、初めてだし、いいよ。あんた、振られたばっかりでしょ」

今まではこの人が身体検査をしていたんですが、歳も50代になり、もう体力的に辛いそうです。なので自分が候補に挙がったのです。拒否しましたけど。

なので皆さん、風俗に行ったことありますか?自分はないです。

先週発売したプレイボーイが「あの風俗はどこに消えた」とタイトルを付けた特集を組んでいます。10ページを超える大特集です。

「何度となる規制&取り締まりが厳しくなり絶滅寸前になっている、日本の裏世界遺産”色街“はどこへ・・・」

というものです。

特集は吉原の取材からスタートし、いや、皆さんは、吉原がどこにあるか知ってますよね?浅草の近くですよ。当然上野からも行けます。町の名前は千束、吉原という地名は今は存在しないので間違えないでください。店の数は100件以上あります。価格の相場や、サービスの中身を知りたい人が週プレを読んでください。

その吉原がどういう風になっているか取材すると、日本全国の風俗街、沖縄の真栄原、埼玉の西川口、群馬の伊勢崎大田の現状が取材されています。このことが結構すごくて、滋賀、岐阜、三重、熊本・・・日本に遊べる場所が日本にあるのか、とびっくりするほどです。本当に面白いです。

というか、週プレの本領が発揮された号です。へぇ、小倉船頭にこのような店があるんだ、前に行ったのにわからなかった、など。みなさんも読むと勉強できる情報がたくさんあります。次の出張に使えますね。

この特集で、自分にもそのすごい身近な街が載ってました。横浜の黄金町です。

黄金町は、横浜駅から京急で数駅、関内駅から徒歩で10分くらいの町です。わかりやすく言うと関内で下車し、伊勢佐モールを直進すると着きます。

自分が学生だったとき、というともう数十年前でしたが、10年前までは、黄金町は全国的に有名な“ちょんの間”とヤクの町でした。

ちょんの間は、遡ると江戸時代から使用されている言葉で、短い時間の遊興のことを言います。早く言うと、あっという間→ちょんの間です。ファーストフードならぬファースト風俗なのです。座布団一枚で遊べるのが、ちょんの間です。

学生の時、黄金町には何回か行ったことはありますが、昼でも少し怖かったです。ここら辺は元々”青線地域“で、なので戦後のような感じが残っていたのです。薬が欲しいなら黄金町に行くのが絶対と言われていました。

横浜駅や馬車道が近くにあるのに、ここら辺だけが都市開発から遅れている感じがして、古い町が続いてました。ホームレスか、仕事に就けない人たちがたくさんいて、狭く怪しい店がたくさんありました。

古い黄金町に来たのは90年代で・・・その時のことはいまだに覚えています。自分はヴィム・ベンダースの映画を見るのを忘れて、今はない「ぴあ」で調べると都内の上映は全て終了し、関東だと栃木まで行かないと見れませんでした。

ですが、どうしてか、黄金町にあった劇場で、その映画がまだやっていたのです。

これはついているとばかりにその時の彼女と見に行きましたが、あたしはバカでした。映画が終わった後に桜木町まで歩こうとし、その途中にさんざんおじさんに冷やかされました。冷やかされたというよりは、彼女を連れて歩くとはいい度胸しているな、かわいい彼女だな、そんな奴はどうでもいいから俺と遊ぼうよ、と言わんばかりの態度を取っていました。頭にタオルを巻いて、歯のないおじさんたちがいました。

雨が上がって、道路はいまだ濡れていて・・・その光景がまだ覚えていますが、自分にとっての黄金町は、そのような場所でした。黄金町が流れ大岡川は水死体が出てきたという噂が上がり、夜の黄金町を歩くことは、心霊スポットに行くよりもものすごく怖かったです。薬中のような人も存在しました。

卒業した後、記者として仕事するのに都内に引っ越しましたが、少し前に自分は再び横浜に戻り、そのとき朝日新聞が黄金町の取材を載せていました。週プレを読み、これと同じような記事を以前見たような気がすると思い、ちょっと資料を漁ると、その時の切り抜きがまだあったのです。

「黄金町は、芸術の町へと変わるように頑張っています」と記事にありました。2009年7月の記事です。

京急の黄金町から、隣の日出町の高架の両脇、ここがちょんの間通りでしたが、ア非新聞は、約500mの間に二階建ての「特殊飲食店」が一番多くて257点、長屋のように並んでいて、飲み屋のような店の2階で、アジアやロシアとうの女性の性が売られていた。と書いてあります。

自分の記憶だと、250件以上ある。90年代の新大久保は、初めはタイやフィリピンというアジア系の女性が、いわゆる”立ちんぼ“してましたが、そこにコロンビア等の南米、さらにロシアの女性もくわわりました。六本木のパブは、大部分はロシア人でした。

それと同じくして、黄金町の女性も多国籍化しました。あの時は、日本人に会うのが大変でした。

90年代、ちょんの間の価格は1万円でした。

黄金町は変化するのは、初めは00年前後に行われた効果橋の耐震工事です。工事は避けられませんでしたが、これをきっかけに市、市政と警察は高架下に集まる人を追いだそうとしました。性風俗の追放です。

同じ時期に、風俗の拡大を止めようとした人が集まり、「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会」を作り、区も売春防止法の規制強化、不法滞在者の取り締まりを強化する要望書を神奈川県警に出すと、黄金町の風俗を見逃していた警察官も、取締りをしだしました。

その時まで、黄金町の取り締まりは、あってないようなものでした。

それから摘発は頻繁にありましたが、有名なのは04年の一斉摘発です。24時間体制で警察官がいるようになり、07年に、ちょんの間を営業していた特殊飲食店が全部廃業し、黄金町から売春が無くなりました。

サツカンと環境浄化運動にかかわった人の苦労が、黄金町に健全さを取り戻しました。そして、黄金町は芸術の町になりました。

自分は今、月に一回の割合で、多いと月に3回も黄金町に来ています。とあるNPO団体に参加しようかも迷っていますし、好きな店が数店あります。デザートを買うのにここに来ています。映画館にもよく行きます。

以前は飲み屋という名のちょんの間があったエリアは、おしゃれなカフェの町になり、ここに数百件以上の風俗店があった名残はないです。ですが、架空下を歩くと、鉄の板で覆われている立ち入り禁止エリアがあり、そこのみが摘発された当初の面影があります。

黄金町は、女性一人で歩いても安全になりました。そこに長くいたわけではないですが、古い時代を知っている自分には、この安全でしゃれた町にびっくりし、そして少し拍子抜けしています。

「私はここで数十年スナックやっているけど、以前は本当に迷路のように道が入り組んでたんだよ。危険なことも結構あったけど、賑わいがあってよかったよ。まあ、あのような店はだめなこともあったけど、全部なくすのはだめだね」

朝日新聞は、黄金町のアートの町づくりに、少し否定的な記事を書きました。

「町の印象を変える「芸術の街」づくりに不満を唱える人もいます。店を居抜きで借りてカフェを運営している笠原智徳さんは、

「いかがわしさが黄金町の財産。逆手に取ることで人を集められるのです」と以前の看板をわざと残します。

「バザール」で店の居抜きをお好み焼き店に変化させた飲食店経営の足立和則さんは、

「芸術だと町が潤わない。ほかの手段も必要」と話します」

コメントにあったバザールは、黄金町バザールです。

08年からNPO法人により企画されたのはそれは、芸術の町に変わることで、黄金町の再興を図りました。町が一体になっての祭りです。

これはすごいです。以前ちょんの間があった架空下に多くの店があり、黄金町から隣の日出町まで、街全部が芸術一色になるようなものです。以前の旅館を改装したお手製の美術館などね、こたつに入り絵を見るような楽しさもあります。ガレッジセールか展示かわからない美術品もあり、一日いても飽きません。

今年は8月から11月まで開催されます。

夏のある日、今日はやることないという人は、黄金町に来てはどうでしょうか?芸術への考えが変わりますよ。いつもは下北沢や吉祥に負ける黄金町ですが、バザール期間は楽しいです。安全ですしね。

朝日新聞の取材を受けてくれた店主さんみたいに、自分もすこしのいかがわしさは必要です。健全なのはいいですが、人間に絶対不健全な面があり、それは社会でも同じです。

黄金町は、出来るなら行きたくない町から、何回でも行きたい町になったのは手を挙げて賛成ですが、健全すぎる町は少し違います。全部揃うより、少し欠けているところがあり、曲がっているところがあるのが町も人間も楽しいのです。

怖いもの見たさがないと、関心も薄れますしね。

自分は、地方に行くと、絶対そこの歓楽街に行きます。北はすすきのから南は中州まで、ほとんどの年の歓楽街を知ってます。風俗にはいかないでクラブかバーに行きますが。ですが、そこでキャッチの人にこう聞くのです、景気はどうかと。

それでわかるのは、歓楽街の活気は、日本の景気とつながっています。

自分からしたら、いかがわしさが日本の活気を左右しています。バブルの時は日本中にいかがわしさがありました。なので、健全さを欲し、いかがわしさが無くなると、活気や元気もなくなるような気がします。

黄金町はいい街になりました。何回も行く楽しい街になりました。

だけど、危なくて、怖くて、いかがわしいあの時の黄金町がものすごく懐かしいのはどうしてでしょうか?

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