慰安婦問題を考える
慰安婦問題は、女の人の人権問題ととらえたほうがいいのではないか?
旧日本軍の従軍慰安婦問題に関しての朝日新聞の報道と対応の仕方が問題となっています。
韓国人女性への連衡があったというものすごく前の朝日新聞の報道に関して根拠がないという疑いが以前からあったのですが、それが今年になって朝日新聞が独自に検証し、無かったので記事を取り下げましたが、そのやり方が良くないと再び批判されているのです。
この問題は、世の中には詳しい人がたくさんいるので、自分が何か参考になることをかけるわけではないですが、ですが興味が全然ないわけではないので、少しだけ、調べた事、思ったことを書いていきたいと思います。専門家の人からしたら「今更そんなこと」という話ですし、「何を言っているんだか」かもしれないです。
この問題は、韓国が中でも懸命に調べ、世界から見たら日本の立場はよくないですが、日本側にも言うことは何個かあり、そのことを誰かが言うと批判される状況になっています。日本側の言い分は、大きくまとめると、朝鮮人を日本軍が強制連行し慰安婦にしたという事実はないのと、日本と韓国の戦後の賠償問題に関しては日刊基本条約締結時に全部解決している所、あと、その時慰安婦というお仕組みを作ったのは日本以外にもあるというところです。
朝日新聞が取り消したのは、この強制連行に関する部分です。朝鮮で慰安婦を強制連行した吉田清治氏の証言を取り上げた記事です。さらに、慰安婦と挺身隊を混ぜた記述の訂正がされています。そこで朝日新聞は、河野談話が吉田証言と関係ないこと、93年の河野談話が「募集、移送、管理などもすべて本人の意思とは違いされた」等を根拠にして、吉田証言が認められなくても本質は変化しないとしました。
ですが朝日新聞への批判は止まらないです。これ以外にも問題があるというのです。批判の大部分は、90年代初めの報道は慰安婦問題に油を注いだ、という主張です。例を挙げると、産経新聞はこのように述べています。
「朝日新聞「慰安婦報道」が触れなかったこと」
ですが、朝日が最優先で検証しないといけないのは、91年夏の「初めて慰安婦と名乗った」と報道した植村隆記者の誤った報道です。記事は挺身隊と慰安婦を混ぜ、慰安婦が強制連行さえたというイメージを植え付けました。しかも義父にキーセンとして売られていたことを書かないで事実を曲げたのです。ですが、今回朝日新聞はその謝った報道は認めませんでした。
批判されているのは上記の記事です。この記事は慰安婦と挺身隊が混ざったとして訂正されていますが、取り消されてません。
「思い出したら今でも涙が出る 元朝鮮人従軍慰安婦を韓国の団体が聞き取り」
「第二次世界大戦の時に「女性挺身隊」の名前で戦場に連れていかれ、日本軍相手に性行為をさせられた「朝鮮人従軍慰安婦」で、一人はソウルにいることが判明し、「韓国挺身隊問題対策協議会」が聞き取り調査を始めました。協議会は、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に渡しました。テープで女の人は「思い出したら今でも泣き出しそうになる」と話しています。体験を隠していた彼女たちが、60年近くたって話し出したのです。
この批判は、強制連行じゃないものをまるで強制連行のようにイメージ付けたと思います。
要するに、このことを多く取り上げている池田信雄氏の言葉を借りたらこうなります。
「朝日新聞は慰安婦問題の現実を直視しなさい」
問題の本質は女性の人権ではなく、公権力の強制があったかどうかです。民間の商売に国が誤る必要はない
河野談話の「業者が甘い言葉を使用し、あとは暴力で脅す形で本人の意向とは反して収集する場合」はなくて、あっても問題はないという話になるのでしょうか?
まとめると、慰安婦問題は90年代に突入し世間の注目を集めましたが、そのもとは80年代からあり、朝日新聞もそのことを報道していました。韓国で元慰安婦が初めて声を上げたのは91年なので、朝日新聞の報道がこのような動きに影響を与えたという批判が出たのでしょう。
朝日新聞はこのような意見に韓国から起きた事と述べています。
「慰安婦問題 核心は変更せず」
韓国は、長期間の軍事政権が終了し、民主化が進んだ90年代に入り、慰安婦問題に注目が浴びるようになりました。
そのきっかけになったのは、90年に尹貞玉(ユンジョンオク)が日本やアジアを訪問し、韓国紙に載せた「挺身隊「怨念の足跡取」材記でした。
同じ年の6月、参議院でその時の社会党議員が、慰安婦問題を調べるように政府に投げかけると、旧労働省局長が「民間会社が軍と連れて行く様子で詳細を調べることは出来ない」と話し、韓国で非難の声が出ました。この答えに不満を持った金学順が翌年8月、実名で「慰安婦でした」と認めたあと、続々と元慰安婦が声をあげました。
細かい事実はややしいので詳細は皆さんにお願いします、あたしは大学で呼んでいる朝日新聞の記事を少し見ました。最初のキーワードは「慰安婦」で調べます。1879年から1989年の記事は見出しとキーワードのみで、全文検索ではないですが、ここで見つかったのは20件。一番古くて71年の記事です。
「性の犠牲。女の戦後史」
このことは朝鮮人だけでなく、戦後のGHQ向けに日本が作成した慰安所の日本人慰安婦たちの話です。これはその時に生存していた日本人なら本当に見たり聞いたりして知っている人もたくさんいたでしょうが、その時はGHQの規制で記事は書けなかったそうです。
それは置いといて、この記事を見たら、面白いことがあるそうです。
「新聞広告だと「職員、事務員募集」になっていて、高待遇と」書いてあった」
「実際は慰安婦と言われて、悩む人はたくさんいましたが、業者は、あつかましく「国のため、国際平和に貢献し、日本女性の貞操を守るための特別挺身隊員だ」と話しました」
朝日新聞が朝鮮人慰安婦問題に関する記事で、その時は「慰安婦問題に関しての研究が進まず、記者の参考資料等にも慰安婦と挺身隊が混ざっていて、間違って使用していたことに関して、「慰安婦と挺身隊は別物で混ざることはありえないのです」という批判ですが、制度は別として現場だと混ざって使用されたり、あとはわざと混ざって使用するところがあったのでしょう(上記の産経新聞の記事だと「韓国だと混ざっていた」とされていますが、日本でも同様のことがあったと考えたほうがいい)この記事は、そのような近藤が起きた背景を示しています。慰安婦募集の記事の時に「挺身隊」という言葉が使用されたのではないでしょうか?
本当に、性風俗だと明らかに明らかな表現を避ける言い方がよく行われます。「ファッションンマッサージ」「ブティックホテル」「ソープ」という名前がそのままでいいのではないかという意味で、慰安婦を募集するときに「挺身隊」と名付けるのはありえたと思います。
そのことが「強制連行」を表すものではなく日本や軍がしたこととわかるものはないですが
次の記事は79年
「従軍慰安婦の悲しみ。朝鮮女性の悲惨さを追いました。」
これは記者が書いた記事じゃなく山谷哲夫氏が描いたものです。この人は映画を作成したものです。朝鮮人慰安に関しての映画「沖縄のハルモ二」と撮ったそうです。同じ名前の本も出されています。少し使わせていただきます。
「軍が売春された女性は、従軍慰安婦と呼ばれて、その大部分が朝鮮人でした。日本人の慰安婦も少しはいましたが、ほとんどは風俗経験者で病気持ちの人がたくさんいた。なので軍はこのような日本人慰安婦より若く健康的な、病気と関係ない朝鮮人慰安婦を喜んで受け入れました」
「噂だと20万、もしくは7万という朝鮮人が、日本が負けるまで、中国や東南アジア沖縄などの日本軍基地にほぼ強制で連れていかれました。その大部分が貧乏な家の娘でした」
「わたしは彼女らの記録を残すのに映画を作ろうと決めた」
「なので77年7月7日、78年2月と二回にわたり韓国に取材に行きました。約一か月もその足で生きている慰安婦を探したのですが、それは無駄に終わってしまいました。
手がかりを手に入れるところか、韓国人に“忌まわしい過去を掘り起こすより、どうしてあなたの父に(慰安婦について)聞かないのか」と反発されました。78年も8月に入り、沖縄に生き残りの慰安婦がいると聞き南の島に行きました。」
「「沖縄のハルモ二」という映画は、この人の話がメインになっています。朝鮮半島でお手伝いさんとして移動していた時に「近藤さん」という日本人に騙されて、その時に特攻隊の基地があった沖縄にほかの6人の朝鮮人慰安婦とともに連れてこられました」
要するに、強制連行された慰安婦が存在すると聞いて調べましたが当てはまる人はおらず。しょうがなく代わりとして、騙されて慰安婦にさせられた人の証言を取ったのです。
で、「ほぼ強制的に」連れてこられたと書いてます。「ほぼ」なのは「実際は断れなかった」という意味でしょうか?
92年は、池田氏が指摘した朝日新聞の問題記事が出たときで、本来翌年12月に韓国人慰安婦が日本政府を訴え、政府が調査し、1月に宮沢喜一首相が日韓首脳会談で謝罪し、7月に政府が調査結果で政府が関わったことを認めています。
97年はアジア助成基金が償い金を出し始めたときで、あと自民党の政治家が、「日本の前途、歴史教育を考える若手議員の会を作り慰安婦問題を取り上げる動きが出始めた年です。
それは置いといて朝日新聞に目を戻すと、見たら、吉田証言以外に、80年代から、少ないですが朝鮮人慰安婦問題を取り上げた記事は存在したのがわかるのです。確実に92年に盛り上がったのはわかりますが、朝日新聞の記事が発端で慰安婦問題に火が付いたのはよくわからないです。朝日新聞が8月に指摘した「韓国で続いた長期の軍事独裁政権が終了し、民主化が進んだ90年代に入り、慰安婦問題の目を向けるようになった」する方が納得できます。無論、朝日新聞の報道がこのような動きを助けるものだと思いますが。
あと一つ、朝日新聞を見ているときにわかったことがあります。90年代の記事の「よくわからない」書き方です。2つほど載せるので読んでみてください。
「強制連行の朝鮮人名簿を民間の調査会社が独自に調べた きょうから」
国家総動員法により強制連行された朝鮮人は80万人、軍人なども含めたら第二次世界大戦に動員された朝鮮人は100万人を超え、数十万人が犠牲になったと言われています。
「尹貞玉氏 従軍慰安婦の深層究明を」
戦時中に、たくさんの朝鮮人女性が日本軍の「従軍慰安婦」とされたのですが、数十年前から調べている尹貞玉氏は、東京で開かれた「人権と戦争を考えるつどい」に招かれて日本に来ました。あと一つの「強制連行」の事実を解明することを日本に呼びかけました4回目の来日。「日本人のほとんども被害は出なかったと思い出しました。女性は子供をたくさん作るように言われ、軍に入れられた子は命を捨てて特攻させられた」ですが、「朝鮮の若い女性が騙されて、一生故郷に帰れないことも心配してほしい」。戦友会で慰安所のことが話題になるそうです。少しでも情報が欲しいそうです。
90年の記事で「強制連行された朝鮮人は約70万人、軍人なども含めたら二次世界大戦に動員された朝鮮人は100万人を超える」との表現を呼んだら、従軍慰安婦は「強制連行された朝鮮人」じゃなく「第二次世界大戦に動員された日本人」に属しています。また同じ年の12月の記事で「たくさんの朝鮮人女性が日本軍の「従軍慰安婦にさせられた」「朝鮮の若い女性が騙されて」と書いてあるのも、強制連行と関係はないです。よく読んだら従軍慰安婦が「強制連行」ものだとわからないようなあいまいな書き方をしています。要するに、これらを書いた人らは、当時から事情を少しは理解していたのでしょう。
こう見ると、「発端」となる91年の朝日新聞も、「女性挺身隊」という名前で戦場に連れていかれ、日本軍相手に性行為をさせられた」と書いてますが、軍が無理やり連行したとは書いていないのです。「強制連行はあった」と書いたのは、別の人が言ったという書き方をしているものがたくさんあります。例を挙げると以下の通りです。
「朝鮮人従軍慰安婦を考える会」
韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉氏は以下の発言をしています。尹氏は女性代の教授。前々から慰安婦問題に興味を持って、色々な場所で取材し、情報を集めて研究していました。「戦争中、日本は朝鮮に無理やり徴兵を視「天皇」の赤子の「皇軍」に献上するものとして従軍慰安婦を戦場に送りました。日本政府は賠償はもとより、戦争が終了して46年がたった今も従軍慰安婦問題の事実を認めないのだ。そのことは命と愛の関係のある性を蹂躙した犯罪です」
要するに、確認することが出来ない事実と気にする事情の間で折り合いを付けようとする表現のように見えるのです。ですが朝日新聞を助けるつもりはなく、理解し上でそのような記事を書いたとすると、どうして現在まで放置していたのかという批判を受けるのはしょうがないのでしょう。
ですが、ここは違う面から違う捉え方が出来ると思います。そのような面で注目したいのは、84年の記事です。
「戦争中の女性挺身隊動員 日本に対して謝罪、賠償を要求せよ。 全大統領に公開書簡 クリスチャン韓国女性8団体_韓国」
「韓国キリスト境界線協議会の女性委員会と同協会女性連合会は24日に、韓国プロテスタント20教団長が15日に決定された「全大統領の日本訪問を再び考えることを要求し、日本に対し謝罪を求める」とした声明を支持する立場を表明し、戦争中に動員された女性挺身隊へ日本政府が謝罪をするように求め、全大統領に向けた公開書簡を23日に発送したことを表明しました。
同書簡は
① 第二次世界大戦に動員された韓国人女性挺身隊への謝罪をそれと同等の補償
② 韓国に戻った韓国原爆被害者への国レベルの補償
③ 日本人の妓生取りやめ
④ 大日本帝国時代に動員されたサハリンにいる韓国人の帰還問題の解決
の4つを要求してきました。
上記の書簡は中でも女性挺身隊に関して、動員された20万人の中で5~7万人の人が軍の慰安婦とされたと予測し、「酷い死をさせた日本の罪はもちろん黙って見過ごせない」とし、大統領に謝罪と相応の補償を日本にしてもらうことを求めています」
この記事で、「戦争中に動員された韓国人女性挺身隊」「動員された約20万人の中で17万人が慰安婦とされた」と書いてあり、軍による強制連行とは少し違うニュアンスで書かれています。これは上で書いた朝日新聞の記者側の見方を表したものですが、もしかしたら韓国の人も、事情を理解してこのように発言したのではないか、と思ってもおかしくないです。
仮にそうでも、彼らが嘘を言っていることはないでしょう。それよりも「強制連行」と「良いように言って連行した」、「日本政府や軍が関わった強制」と「軍の意向を受けた民間会社の力づくの勧誘や嘘」と事実上同様のモノとしていると考えたほうがいいと思います要するに、騙されたり、貧しいのでそのようにする以外しょうがなかったときは自発的な「商行為」じゃなく、事実的な強制と同じと言われています。
このことは河野談話とほとんど同じの味方だと思います。このような見方が商行為に関しては置いといて、性業界の中ではよくあるのではないでしょうか?性犯罪は「合意」があるかどうかはよく話題に上がりますが、「暴力をバックに脅されて何も出来なかった」は本来「合意」ではないです。それと同様に、その時に状況を考えたら、朝鮮で(日本でも)慰安婦の募集で、「民間会社と同じ意志で契約」が事実上の強制でされたという発言には、ある程度の説得力があります。商行為ではなく人権問題として見ているのです。
慰安婦問題を女性の人権問題とするべきという考えからしてもこの記事の面白い所は、韓国の女団体が慰安婦を「女性挺身隊」と言っているところもありますが、この問題と併せて原発被害者やサハリン在留者等の問題以外にも、キーセン観光中止を問題をあげているのです。
キーキセンは朝鮮に昔からある制度で、日本が支配して以降、戦争が終わるまで公娼制度として使われてましたが、要するにキーセン観光は戦争中の話だけでなく戦争の後の話です。この記事は韓国の女性団体の意見を言っているのですが、女性団体が稼働しているのがポイントです。女性団体がこれらを一つにして取り上げたのは、慰安婦問題とキーセン観光問題を同じ問題としていたと思います。ようするにその時の日本人のキーセン観光が問題になっていた、韓国人慰安婦問題が問題になったことと関係があるのではないのかなのです。
キーセン観光が70年代に問題視されたのは、極端に言うとこの時からです。そしてそのバックには、日本と韓国の関係と世界経済がこの時に大きく変化したのです。
65年の日韓基本条約締結で、日本と韓国が関係が修繕されました。その後66年に日韓貿易協定が締結されます。その時の韓国は朴大統領の軍事政権下で、この時日本からの支援もあってものすごい成長しましたが、貧しい人もたくさんいました。
一方、日本人が海外に行くようになったのも60年代半ばです。観光で海外に自由に行けるようになったのが64年で、その後外貨持ち出し制限がだんだんと緩和されます。
69年に50万人行かなかった旅行者は、70年に66万人、71年に96万人、72年に139万人、73年に228万人とものすごいペースで広がりました。この時団体が安いパッケージツアーを作ったことも要因に上がります。団体で買春をするわけです。
73年、要するに同じ時期に、ブレトン=ウッズ体制が崩壊し、外国為替市場は変動相場制になります。長く1ドル=360円になっていた円は71年に300円、73年に260円になりました。この影響で日本人からして外貨が安くなったことも、海外旅行が流行した要因になりました。
反対に、韓国ウォンが変動制になったのは80年で70年代は固定相場性でした。オイルショックのせいで、60年代に1ドル=255ウォンだったのが72年に400ウォン、74年に480ウォンと下がりました。ようするに70年代は、日本人旅行者からすると韓国は物価の安い国でした。
キーセン観光は、上の記事検索でも判別するように、80年代も続いてました、キーセン制度が法律で廃止されたのは21世紀になってからで、近頃の韓流ブームしか分からない人は思いつかないと思いますが、70年代以降最近まで、日本人の韓国旅行は男の人がたくさんいて、最初に思いつくのはキーセン観光でした。団体の買春が落ち着いた後も、単身で韓国に行く日本人男性にそのような「疑惑」をかけられるのはよくありました。
そのような空気が、韓国の人からの反発があったのは容易に想像できます。当然性産業も産業の一つで、誇りを持ち仕事している人もいますが、反対にこの産業に本当は嫌でもこの仕事をしないといけなかったたくさんの女の人の涙の上に成り立っていることも本当のことで、バックには女性の社会進出の制約が残っていることも否定できないです。それは韓国の国内のもんだですが、そこに来る「客」の中で少なからず日本人がいるなら、そのことで昔の慰安婦の記憶を思い出させてもおかしくないのです。要するにキーセン観光で、慰安婦の記憶は現代の問題として再び注目を浴びたのです。
このような流れを考えたら、韓国人がなかでも慰安婦問題にこだわる根底に、キーセン観光批判の、格差問題をバックにした女の人への人権侵害への憤りがあると考えたほうがいいです。そして本来あったそのような動きが、80年代の韓国の経済発展、朝日新聞の検証記事に着目した同じ時期の民主化のせいで、表に出るようになったと思います。その意味でこれは、戦争前の日本と韓国の問題以外にも、つい最近まで続いている日本人と韓国人の問題で、同じく男と女の問題でもあります。
当然、韓国の言うことを全部受け入れるべきとは言わないです。この話題の話を主張する人にはこれを政治的に使おうとする人もいるし、ただ日本が嫌で陥れたいと思う人もいます。自分の国の問題の不満を日本にそらそうとする要因もおそらくあります。そのようなものを全部受け入れないといけないのはおかしい話です。日本も主張しないといけない所は主張すべきです。よく考えると、主張するには少しでも聞いてもらう必要があり、聞いてくれるものはどういうものか、聞いてもらう環境をどのように作るのかをきちんと考えたほうがいいでしょう。
少なくとも、「政府や軍における強制連行の確証はなかったです」という主張で収まることではなく、「別の国も同じようなことしていたじゃないかと言ったところで「お前が言うのか」という反応しかもらえないでしょう。そして「それは民間の会社が勝手にやったことで自由意思の契約でしょう」ということが何も説得力がないのは、その時からキーセン観光批判と同じく主張されていたのはよくわかります。
女性の権利の保護は、態度に違いはありますがだいたい世界で同じものの課題で興味事でもあります。その領域で、ヒューマン・トラフィッキングの問題から見るとわかりますが、
民間の自由契約だからほっといてもいいという考えはおかしいです。なので韓国以外にもほかの国でもこのことに関して日本に批判的な態度を取るのは、本当のことが言われていないからではないです。誤解を解きたい、本当のことを言いたいのはわかりますが、そこは勘違いしないでください。
朝日新聞は、訂正しないといけない記事も出したこともそうですが、それを長い期間放置したことはよくないのです。検証とは言えないし、謝罪はいらないが記事を検証している際に「すみませんでした」という言葉もあるべきではないでしょうか?会社自体に信頼も無くなりかけないくらい危険だと捉えたほうがいいでしょうし、日本と韓国に関する悪い影響も少なからずあり、きちんと検証すべきです。朝日新聞の報道に誤解があっても、それを批判する産経新聞の報道が全部正しいことはない。メディアの価値は、各々の意見を、各々が生み出した事実を持って戦わせることで高めます。今回の失敗を見直し、今後に役立ててもらいたいです。
コメント
開く/閉じる
コメントを投稿する