子供が不細工!それでも愛せますか?

子供が不細工で愛せないという親が増えてきてます。やはり女性の方からしたらお腹を痛めて産んだ子供が可愛くないので愛せないというのは普通の感覚では信じられないという人の方が大多数でしょうけれどもね。ただ重度の整形中毒であれば間違いなく嫌になってしまうんでしょうね。

ただそれが大事件に発展してしまうケースも少なくないみたいです。

 

 

【ピンサロ嬢幼児虐待殺人事件】

事件が起きたのは、平成14年。自分で生むと決断を下した母親は、現在罪の償いを終えて出所している。彼女は事件を振り返る度になにを思うのだろうか……。

「今日もまたまた悪い子!」

「昨日あれだけ怒られても、また同じ事をしていた。それで頭を叩いていたら後頭部がへこんでぶよぶよになってしまった」

「目のまわりがパンダみたいに青紫になって、腫れていた。目もほとんど開かない状態」

サンリオのファンシーノートに綴った「子育て日記」に、2歳になる娘への虐待の様子を書いていた、母親の安藤志保(当時、24)は、とうとう娘を死に追いやった。夫の明由(当時、31)とともに殺害の容疑で逮捕されたのが、平成14年2月24日のことだ。

■安藤志保が風俗嬢にまで身を落とすまで

安藤志保は昭和53年2月9日、青森市内で、私生児として生まれた。父親となるべき男性が、「結婚する気はない」と逃げてしまったためだ。また母親も、新しい男を作るなど奔放な生活を送っていたため、それを見かねた祖父母に引き取られる形で育った。

高校を卒業した志保は、上京して老舗の和食店に就職。だが、寮で盗難が頻発した際に、犯人だと疑われたことを苦にし、結局1年半で辞めてしまう。

当時、志保には、街頭でのキャッチセールスに騙されて背負った75万円の借金もあった。

やむにやまれず、19歳の志保が飛び込んだのが、JR巣鴨駅前にあったピンクサロン「R」だった。給料は日払い、また1人部屋の寮もあったことも志保には魅力的に映った。

しばらく同店で勤務した後、JR大塚駅前のピンクサロン「E」に移籍。この店では、ソファの上で女性と男性客が、まるで”抱っこ”するかのように向かい合い、ローションで塗した股間をすりあわせる「素股」というサービスを行っていた。もちろん、違法の”本番”行為は禁止だった。

ところがある日、泥酔した客を対応した志保はむりやり挿入されてしまう。すぐに志保は相手を殴って突き飛ばした。このような客は、店から罰金を科せられたうえに、顔写真や身分証明書の写しを取られることもある。さらに以後入店禁止となるのが通例で、男性従業員から暴力的制裁を受けることも珍しくない。だが客は、店から素早く逃げ出して、雑踏にまみれてしまった。

■望まぬ妊娠の発覚…しかし

それからしばらくして、志保は妊娠していることに気付く。その時の志保にはプライベートな交際相手はなく、店での挿入による妊娠だったと考えられる。もともと生理不順だったこともあり、すでに1週間以内に手術しないと、それ以後の堕胎は違法になるという、切迫した時期に陥っていた。悩んだ末に福祉事務所へ相談に訪れた時、なにげなく腹に手をやると、内側からかすかに蹴られた。これで、命が宿っていると改めて感じた志保は「産む」という決意を福祉事務所の担当者に伝える。

平成12年1月17日、板橋市内の病院で、17時間に及ぶ陣痛の末、志保は娘の水咲を出産。母親としての喜びを感じた志保だが、すぐにも働かないと生活がままならない。その後、志保は水咲を都内の乳児院に預け、JR西川口駅前にあった、違法である”本番”行為もある「J」で働くようになる。

その店で呼び込みをしていた男性従業員が、後に夫となる安藤明由だった。ふたりは、気が合い打ち解けるようになる。関係が深くなると、志保は「施設に預けた子どもがいる」と、明かした。明由が子どもを引き取って育てることに賛成すると、平成12年9月から板橋区内の志保のアパートで、暮らすようになる。明由は、風俗の仕事を続けることも『そこでの行為に愛ではない』と、理解を示すなど志保は自分のすべてを受け入れてくれる男性だ、と喜んだ。

■やっと掴んだ幸せな生活も…

平成12年12月、水咲を引き取るために2人は、子供の入居が可能な南浦和のマンションに引っ越す。だが、ある日、志保は妊娠していることに気付く。父親は、明由に間違いない。それでも、すぐに2人も子どもはいらない、と考えた志保は「堕ろしたい」と明由に告げる。

明由は反対しなかったが、志保はつわりがひどくなると、これを胎児からの「産んで欲しい」というメッセージと受け取り、翻意して産む意思を明かした。明由は、「それならば結婚しよう」と、トントン拍子に話は進んだ。

平成13年6月に2人は入籍し、9月に志保は男児を出産

また10月には、水咲を乳児院から引き取った。だが、幸せな生活は、ほんのしばらくしか続かなかった。明由が「昼間の仕事がしたい」と言い出し、働かなくなったためだ。さらに、「恐るべき2才児(Terrible two’s)」などと呼ばれることがあるほど、2才ほどで、かんしゃくを起こす子どもは多いが、水咲がその時期にさしかかる。

ふたりの子どもと働かない夫を抱え、年金暮らしの祖母から借金を重ねる生活のストレスは相当なものだったのかもしれない。水咲が、おもちゃを乱暴に扱い、部屋の物を投げつけ、弟にも暴力をふるい出すなどのかんしゃくを起こすと、志保は怒りで応えてしまった。

■エスカレートし続ける暴力

手を上げるという暴力が、しだいにエスカレートしていく。平成14年になると、熱湯を入れたほ乳瓶を押しつける、洗濯用ロープで首を絞める、ロウソクのロウを垂らすという虐待に発展し、さらに夫の明由もそれに加わった。

そして、2月23日の昼、志保は水咲を正座させて「フラフラするな!」と殴りつけた。夜になると、おむつしか着けていない水咲を、厳寒のベランダに1時間も放置。部屋に戻すと、志保は水咲を踏みつけた。深夜の午前1時頃、水咲が空腹で泣き出すと、夫婦で殴る蹴るの暴行を加えた。

暴行を受けた水咲は全く動かなくなったが、明由が119番に電話をしたのは、しばらく経ってからだった。通用により、駆けつけた救急隊員が目にしたのは、顔を痣だらけにし、ブヨブヨと頭がへこみ、太ももが腫れ上がった水咲の姿だった。

彼女はすでに、息絶えていた。

ふたりは逮捕され、平成15年2月21日にさいたま地裁は、志保に懲役9年、3月12日には明由に懲役8年の刑を下し、これが確定した。夫婦は、すでに刑期を終え、出所している。生まれたばかりだった男児は今、12歳だ。彼らは今、どのような生活を送っているのだろうか…?

あなたの家庭は大丈夫ですか??

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